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宮島管絃祭を楽しもう 市立祭(・o・)


 
(^^ゞ スマイルショップ (^o^)丿



りんご線

夏祭り  宮島で市立祭を楽しもう(^O^)/

宮島の厳島神社で7月16日午前9時より
『市立祭』が行なわれます。
厳島神社の管絃祭のさきがけを告げるお祭りで、
旧暦6月5日に齋行されるのが『市立祭』です。

かっての宮島には、春、夏、秋と年3回市が立っていましたが、
春(桃花祭)、秋(菊花祭)の市立は廃れて・・・・
今では夏の管絃祭だけが伝承されているようです。

祭りうちわ
市立祭は、宮島の夏の風物詩の一つで、
日本三大船祭り管弦祭の始まりを告げるお祭りですが・・・
一説によると漁師が漁労の安全と繁栄祈願の奉納を行っていたのが、
祭祀として取り込まれたともいわれています。
http://www.bentennoyado.com/news/cat8/cat4/ 

昔の宮島管弦祭の頃は、厳島神社の門前市は大変な賑いでした。
しゃもじ
宮島のお土産と言えば・・・(^^)/

1、大しゃもじ
大杓文字(しゃもじ)は、修行僧:誓真さんが、
厳島弁財天様に奉納されている琵琶の形を
まねて考案したものです。

誓真杓文字は、材料・材質の選択がよいため、臭気を移さず、
飯粒が付着しない優雅な形と熱い飯にも曲がらない特徴があります。

武運長久:敵を召しとる語呂合わせから。
商売繁盛:富をすくうことから。
*縁起ものとして知られるようになりました。
★宮島手作り工房:0829−40−2731
撮ったばかりの写真をプリントできます。
オリジナル杓文字、杓文字ハガキ、うちわなど、

(^0_0^) 日清戦争の頃、
広島宇品港から兵隊さんが出征するときには、
“敵をめしとる”杓子に名前を書いて厳島神社に奉納したそうです。
勝利の土産に故郷へ持ち帰ったと伝えられています。

2、紅葉饅頭 
明治時代に伊藤博文が宮島を訪れた時、
茶屋の娘のかわいい手を見て、
(^0_0^)「紅葉の形をした菓子を焼いて食べたらおいしかろう」
と言ったところ・・・紅葉谷の旅籠の女将の着想です。

3、宮島焼(御砂守) 
安芸の国の人は旅に出る時、厳島神社に参拝し、
旅行中の安全を祈願してお砂守(本殿床下の砂)をもらいました。
道中無事に帰ると・・・
お礼に旅した土地の砂をお砂守と一緒に「お砂もどし」をとして、
感謝したと言い伝えられています。
18世紀末に宮島の厳島神社の砂で祭器をつくったのが宮島焼の始めです。

風鈴しゃもじはがき 昔から門前市、中店通りには・・・・
宮島塗の盆、色楊枝、土鈴、
干支の置物など並んでいたそうです。
最近は藍染のコースターや木工品、
アクセサリー、漆塗り、・・・
見ているだけで楽しいものがあります。


(^^)/ “喝采するおさるの人形”ご存じですよね。
民衆の宮島参詣が盛んだった頃、
宮島にも市が立ち、見世物小屋が賑わっておりました。
奉納興業といって売れっ子の役者も多く訪れたそうです。
そんな折、猿の群れが天井から芝居見物をしたのが始まりだとか。
 宮島芝居を御神使(ごしんし)の猿が見て手を叩いた!これは目出度い!
手を叩く人形猿が作られたそうです。

氷 当時の宮島は全国でも5本の指に入るほど、
多くの人々で賑わっていたそうです。
(゜o゜)?お化け屋敷・奇術・バナナバナナの叩き売り・蝦蟇の油売り…
きっと皆!大喜びで、拍手喝采拍手 
盛り上がっていたのでしょう。


(^O^)/神の島だけに不思議な話も伝わっています。
高倉院がみやじまを行幸された時のことでした。
7歳の内侍(平安時代、御宮に仕える女性)による
巫女神楽が夜通し行われた時(・・?
神が憑依して宣託を述べたそうです。

大鳥居厳島神社
小屋の障子に気高い女性の姿が映り・・・・寝殿から、
芳しい香りが漂う気瑞(不思議な目出たいしるし)が起きたとか。
★神楽が芸能ではなく、神事であることを伝えているようですね。 
舞楽
海に突き出た舞楽殿での雅楽は・・・・
古雅な調べ、舞・絢爛な衣装・重厚な面で演じられます。
島からも、海の上からも多くの見物客で溢れたそうです。
とうかさんの夜
厳島神社と名がつく神社はひろしまに数多く(30位)あります。
たとえば、安芸高田市八千代町・三次市吉舎町などです。
神代に近い時代、スサノオノミコトとカツヒメノミコトとの子として、
市杵島姫(イチキシマヒメ)が大分の宇佐に生誕しました。
そして、ニギハヤギノミコトの子:猿田彦命と結婚しました。
猿田彦命が出雲統治に行った折、市杵島姫は陸路か海路で広島に入り、
向原の大土山にしばらくいて、西条・生口島・大崎上島・宮内と移動しながら
宮島に定着したのだそうです。
市杵島姫が、伊都岐島神社すなわち厳島神社の主とされています。
市杵島姫が葬られたところは、出雲の見える比婆山(御墓山御陵)と伝えられ
市杵島姫の足跡に厳島神社と名がついたそうです。

斎藤一人さんの著書「絶好調」には、
天照様は、太陽のことで、みんな太陽エネルギーもらって生きている。
彦:お日様の子供(日の子という意味)
姫:お日様の娘、太陽は生命の元という話があります。

(・o・)吉舎の厳島神社についてお話します。
吉舎の厳島神社は別名叶丸大明神といい、
農民が子供がないのを嘆き、安芸の厳島神社に詣でて願をかけたら、
一子を得ることができました。
農民は願解けに本殿まで、吉舎から月参りをしていたのですが、
年老いて参詣が困難になり、この地へ勧請したそうです。
*吉舎は田利のご近所三良坂のとなりです。
大鳥居 宮島の朱色の大鳥居!黒地に金の文字
みやじま側「伊都岐島神社」
向こう側「厳島神社」と書かれています。

フッシュライン
平清盛は安芸の守となった頃から厳島神社に崇敬の念を抱いていました。
宋との交易で財力を蓄えた清盛は、
当時、天皇の御遊や宮廷の公宴、神事、佛会で繰り広げられていた
雅楽の管弦や舞楽を都から厳島神社にうつしたのです。
都で絢爛を極めた遊宴を海で行うためには・・・?
多数の伶人が乗って管弦を奏するために、貿易船を使ったのです。

管弦祭は暑い!旧暦の6月夜半の月 月の出る頃、
潮位の高い日に行われます。
陰暦7月8月は、台風が来るから避けているそうです。
管弦祭管弦祭
たくさんの装飾、ぼんぼり、提灯、彩花を飾った船。
管弦は、笛・笙・太鼓・筝・琵琶・和琴などの幽玄な世界です。

鹿宮島には・・・・(・・?
市杵島姫という嫉妬深い女の神様がいて、
夫婦(カップル)で島を訪れると仲を引き裂かれる
言い伝えは、昔は宮島に色町があって
男天国を守る考えから出たものだそうです。

清盛の3男に右大将を越され、 
陰鬱に暮らしていた実定卿は、
7日7夜の宮島参りを勧められ、にわか信心から宮島に詣でたそうです。
(^^♪ 来てみると社には内侍(美しい舞姫)が大勢いてもてなしてくれる。

(・o・)「殿は何の祈願で宮島に来られたのですか?」内侍に聞かれ、

(^−^)「大将になりたいからです。」答えました。

風の便りに聞いた清盛は、厳島神社のご利益をあらたかにしようと考え、
実定卿を左大将にしたそうです。
7日7夜の宮島参りをした公卿は数多くいたそうですよ。


今日はいい一日です。すべての良き事が起こります  (^o^)丿 ありがとう (^O^)v 感謝しています
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毎度(^○^)ありがとうごさいます

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 寄鍋もどき * 宮島(厳島)へ行こう * 16:24 * comments(1) * trackbacks(0) * pookmark

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Comment by - @ 2010/06/30 8:17 PM
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