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2019.02.18 Monday
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(^^)/幸神社 御祭神:猿田彦神
かつては疫病の神、牛王が祀られ社殿の背後には陰陽石があり、
道祖神のご神体といわれ、道祖神社とも呼ばれていた。
神社前の通りは東町から厳島神社に参拝する道に当たり、
未完の「金鳥居」があり、この辺りは島内でも屈指の賑わいをみせ、
1800年代初め頃から神社の名も幸神社と呼ばれるようになり、
町の名も「牛王町」から「幸町」に変わった。
幸町の住民は疫病封じや火難・水難の神、子宝の神、
日々の幸をもたらす神として大切に祭っている。
例祭日には陰陽石を参拝でき、参拝者には『中秋の名月』を
楽しんでもらうためのススキと萩が配られる。
(^^)/ 光明院
浄土宗に属し、戦国時代、
以八上人(いはちしょうにん)によって建立された。
厳島は14・5世紀頃から内海の要港として賑わい門前町が発達した。
これまで厳島神社に関係を持つ寺院はあったが、
以八上人は町屋の人達を教化する目的で来島し、
念仏を勧め多くの信徒を得た。
鎌倉時代末期の木造阿弥陀如来立像、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図
(以上国指定重要文化財)を所蔵する。
この寺の裏手は同じく浄土宗の道場坊神泉寺の跡であるが、
天文18年(1549年)堪阿弥が再建し、昼夜時刻を知らせたので
時寺と呼ばれ親しまれた。
天明・寛政の頃(18世紀末)島内諸所に井戸を掘り、
宮島名産の杓文字を創始し民生につくした誓真は神泉の番僧であった。